2016年、ルマンで何が起きたのか? - 4-Wide Lego Cars Blog - レゴ4幅車ブログ

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2016年、ルマンで何が起きたのか?

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 車好きを自負する人ならルマン(Le Mans)という名前を知っているはずです。車に興味を持ち始めた若きカーキッズたちのために、ルマンというレースのことを簡単に解説します。



 今年もこの季節がやってきました。ルマンの季節です。それはきっと多くのモータースポーツファンにとって特別な「1日」であることでしょう。今年のルマンは6月18日にスタートし、6月19日にゴールしました。そう、このレースは日をまたいで行われます。それがルマンという24時間をぶっつづけで走り続ける耐久レースなのです。
 24時間も続くレースの間にはトラブルやクラッシュでリタイヤする車もそれなりに現れます。今年は全60台のエントリー車のうち、44台が無事にチェッカーフラッグを受けました。このレースで世界ナンバー1に輝いたのはポルシェでした。表彰台を飾ったチームと車は間違いなく世界最高のレーシングチームです。おめでとうございます!
 なんていって片付けてしまうと非常に味気なく感じますが、今年のルマンは特に大きな波乱を生みました。ルマンでいったい何が起きたのか、そもそもルマンとはいったい何なのか、そこから振り返ってみます。

いつ始まったのか?

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 ルマンはフランスの都市ルマンで開催されることからその名前がついています。たいていのレースは開催地がそのまま名前になっていることが多いんですね。最初の年は1923年。写真は第一回優勝車のシュナール&ワルケールです。聞きなれないですがこれでも車の名前です。今ではまず見ることのない戦前のクラシックカーのスタイルですね。それくらい昔からつづいているレースなのです。当初のスタンスはあくまで市販車の性能を競うもので、舞台となるサルト・サーキットの多くは公道を使用したストリートコースとなっています。24時間走らせるのは、夜間走行のライト性能を競わせる意図もありました。最初の優勝は多勢を占めるフランスが獲得しており、ローカル色の強いものでした。

消えたルマン式スタート

 ピット前に車を斜めに整列させ、コースの反対側からドライバーが駆けていってマシンに飛び乗りスタートするという独自のスタート方式です。普通ならグリッドスタートにしろローリングスタートにしろ、ドライバーが乗ってエンジンも始動している状態からレースが始まるものですが、ルマンではドライバーが車の外にいる状態から始まるわけです。車に乗ってエンジンをかけるという一連の動作がスムーズにできるという乗用車としての性能も競技のうちという発想だったのでしょうか?昔のことなので今となってはよく分かりません。
 しかしレース界で安全性の意識が高まるにつれ、このスタート方法の危険性が指摘されるようになりました。車のスタートタイミングがばらけて接触のリスクが高まること、シートベルトを付けずに発進した方が素早くスタートできるという状況など問題点が浮かび上がったのです。そして1969年にジャッキー・イクス選手があえてコース上をゆっくり歩くというパフォーマンスをしたことで、その後は普通のスタート方式に改められています。
 公式レースでこのようなスタートが行われることは今となってはありえませんが、小さなローカルレースなどではルマン式を真似したスタート方法が採用されることが今でもあるようです。

戦中戦後の空白期間

 現在ではルマンは何事もなく毎年開催されています。しかし1940年代にはルマンが長い間開催されない時期がありました。最近生まれた人は知らないかもしれませんが、その頃世界では第二次世界大戦という大きな戦争がありました。これは今でも数々の映画が作られるほどに大きな出来事で、フランスを始めヨーロッパ各地が大規模な戦場となりました。そんなしっちゃかめっちゃかな情勢であったため、1940年から1948年の間にはレースをする余裕もなく中止されていました。しかし以降現在に至るまでは一年も欠かすことなくルマンは続いています。今後もそうあってほしいと私は願っています。

1955年の悲劇とメルセデスベンツの悪夢

 モータースポーツには危険がつきものです。1955年の大事故はルマンの歴史、そしてレースの歴史の中でも最も悲惨なものでした。ピット前で他のマシンと衝突したメルセデスベンツは宙に舞って壁に激突、バラバラになったエンジンパーツなどが観客席を襲いました。86人が死亡したという数字はこの事故の凄惨さを語るほんの一つの要素でしかありません。レース業界に与えた影響は限りなく大きく、安全性向上の動きが高まった出来事でした。この事故から長い間メルセデスベンツはレース活動自粛によりルマンから姿を消すことになりました。
 そして悪夢再来と言われた1999年、メルセデスベンツは再びルマンで宙に舞うことになります。クラッシュは単独で死者も出なかったのは不幸中の幸いでした。進化した安全装備はドライバーを守ったのです。しかしクラッシュ後にすぐさまメルセデスチームは走行中の全マシンを引き上げ、そのまま現在もルマンには姿を現していません。この悲劇はルマンに魔物が潜むという俗物のような説に説得力を与えるエピソードとしてしばしば語られるようになりました。それとも本当にルマンにはレーシングカーを餌食にする恐ろしい魔物が巣食っているのでしょうか?

栄光のルマン

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 ルマンのことを語るときには、今でもこの映画のことが引き合いに出されます。それほどエピックな映画なのです。まず最初に断りをいれなければいけないのは「栄光のルマン」はあくまでも1970年のルマンを舞台にしたフィクションであるということです。しかしこの映画が多くの真実に迫っていることも確かでしょう。そしてスティーブ・マックイーンという俳優でありレーシングドライバーでもある男はルマンの歴史の中に一つの象徴のように存在しています。彼が実際にはルマンを走っていないにも関わらず、です。
 ストーリーは主人公チームのポルシェとライバルチームのフェラーリが激しくレースを争うものとなっています。レース終盤はフェラーリがリードを取っていたものの、なんと最終ラップにフェラーリがマシントラブルでリタイアし2位以下だったポルシェに優勝のチャンスが巡ってきます。もちろんレース展開は事実とは異なります。それはお話を演出するために作られた脚本なのです。

ユノディエールの直線

 それはルマンを象徴する区間の一つでした。約6kmに及ぶストレートはその数字を聞いただけではどれほど恐ろしいものなのかはなかなか想像できません。世界最高峰のレーシングカーがその長い直線を走ったらどうなるでしょうか。1986年にWMセカテバプジョーはついに400km/hを超えるスピードを記録しました。プジョーは元々この直線スピードの記録を出すことを主目的としており、レース結果はリタイヤで終わっています。
 地上でほとんどの人が体験したことのないこの異次元のスピードに恐怖を感じない人などいるでしょうか。実際にこのストレートを見た人間は「車が悲鳴を上げている」と語りました。1990年からはシケインという意図的なコーナーがストレートの途中に設けられ、マシンが減速せざるをえない状況が作られました。これによりハイリスクなスピードチャレンジは不可能となりました。しかしそれまではルマン仕様として、直線でスピードを出すことに重点を置いたマシンが多数存在していました。

日本唯一の栄冠

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 多くのメーカーがひしめき合う自動車先進国の日本で唯一ルマンの勝利を獲得した車、それが今でもマツダが保持している栄誉ある称号です。マツダ特有のロータリーエンジンを載せた787Bが優勝したのは1991年のことです。次年からのレギュレーション変更でロータリーを積んだマツダには最後のチャンスとなることが分かっており、その勝利は劇的なものでした。出場台数が異様に少なかったこの年、上位を走っていたメルセデスベンツ2台が相次いでトラブルに見舞われるなど、マツダにとってのラッキーな要素もあったと言われています。しかしレースは結果が全ての厳しい世界です。24時間を無事に走りきれるマシンにしか勝利の権利は与えられません。マツダにはその権利があり、そしてつかみ取ったのです。

クラス混合のレース

 ルマンを見ていると色々な形の車が走っていることが分かります。でもトップを走っている車はどれも似たような形をしていますよね。それにマシンのスピード差も大きく、遅い車はいとも簡単に追い抜かれて何周も周回遅れにされてしまいます。これは複数のクラスの車が一つのレースを走っていることから発生する状況です。簡単に言うと遅い車は市販車ベースのGTクラスのマシンです。これらの車は一般に売られている量産車と同じ形でないといけないので制約が多くなります。その分マシンを用意する費用も下がるため多くのプライベートチームが参加しています。現在のルマンではLMGTE Pro/Amというクラス名になっています。
 そしてトップ争いをしている速い車はレース専用に作られたプロトタイプクラスのマシンです。こちらの方が制約が解放されて姿も車離れしたものとなり、当然スピードも速くなります。ただしレース用の車を作るのは並大抵のことではないので、メーカー本体が主導のワークスチームが主要なエントリーとなっています。現在のレギュレーションではLMP1/LMP2というクラス名となっており、今年のルマンで表彰台を占めた3台もトップクラスのLMP1マシンで、いずれもワークスチームとなっています。

50年越しの勝利の再現

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 先述したように、GTクラスのマシンがルマンのトップ争いに混じることはほとんどありません。しかしレースにはクラス別のトロフィーが用意されており、同等の速さのマシンの中で勝負を競うことができるようになっています。GTクラスはポルシェが特に速かった時期もありましたが、近年ではフェラーリが他のマシンを圧倒する場面が多く見られるようになりました。
 そんな中今年のLMGTE Proに登場した新しいフォードGTは、誰もがその存在の意味を理解できるシルエットを持っていました。フォードは同クラスのフェラーリと長いバトルを演じ、そしてクラス優勝を獲得しました。それはまるで1966年のルマンでフォードGT40がフェラーリを破ったときのようであると、多くの記事が伝説のレースになぞらえてこの勝利を讃えました。今年のフォードがその50年前のマシンのボディデザインを継承していることには大きな意味があったのです。
 運命的なストーリーは単なる偶然でも神の導きでもありません。確実な勝利のために4台ものマシンを投入するというフォードの万全な体制が生み出したものです。ルマンで勝ちを取ることは簡単ではないと、経験者であるフォードはよく理解していたようです。

アウディ一強の時代

 長いルマンの歴史の中でもアウディが登場したのはほんの最近の出来事です。最初の出場は1999年、そして2000年に初優勝を飾るとその後のルマンは完全にアウディに支配されてしまいました。2014年までの間になんと13回の優勝という驚異的な記録を叩き出し、ポルシェに次いで優勝回数の記録第2位に躍り出ました。来る年もまた来る年も同じ車が勝ちを持っていってしまうのです。きっと何人かは「今のルマンは面白くなくなった」と落胆したことでしょう。それまで存在をささやかれていた波乱を生み出す「魔物」とやらも姿を消しました。技術が進歩した現代においては、ドラマチックな逆転劇など到底期待できないように思えました。

ポルシェ伝説復活

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 1970年に最初の勝利を獲得してから、ポルシェはルマンで最も多くの栄光を手に入れたメーカーとなりました。特に70年代から80年代にかけてはレースの世界はまさにポルシェ最強の時代でした。ルマンで勝った車という看板はあまりにも大きなもので、それが今のポルシェのブランドイメージに大きく貢献していることは間違いありません。しかしアウディがその強さを発揮している頃、ポルシェはずっとルマンから離れていました。2014年のポルシェ復帰はきっとたくさんのファンが待ち望んでいたものだったはずです。そしてブランク後たった1年の経験を経て2015年に勝者へと返り咲いたのです。伝説の復活にたくさんの喝采がポルシェに送られました。
 写真は前年に引き続き今年の優勝を達成したポルシェ919ハイブリットです。しかし連続2年目の勝利への歓声は、去年よりも少しだけ小さいものでした。

トヨタ最後の3分の悪夢

 誰が今年のトヨタのこんな結末を予想したでしょうか。もしこの悪夢を望んだ者がいるとすれば、そいつはきっと人間ではない「魔」なる者に違いありません。
 トヨタの挑戦は1987年から始まり、一時期はルマンから離れていたものの、2012年からはずっと参戦を続けています。残念ながらルマンという舞台では日本車は遅れを取っています。しかしトヨタは4度の総合2位に輝くなど、欧州勢にも劣らない実力を見せつけてきました。しかしルマンでは2位は2位でしかないのです。トヨタは常に敗者でありました。
 今年のトヨタは強豪のポルシェとアウディに匹敵する速さを持っていました。優勝争いに絡むことのなかった2015年とは全く違いました。優勝候補3メーカーの実力は拮抗し、レース前には「今年のルマンは何が起きるか分からない」と言われました。レースが始まってみるとなんとトヨタが多くの時間でリードする展開となりました。ポルシェやアウディに降りかかったトラブルもあり、2台のトヨタが常に上位争いに加わるという状況でした。24時間の終わりが見えてくる頃、誰もが目に見えているレースの結果を見守りました。トヨタTS050ハイブリッドの5号車は2位のポルシェと30秒の差をつけていました。24時間走っていてたった30秒の差しかないと感じるかもしれませんが、レースにおいては前のマシンが見えないほどの大きな差となります。残り時間が減っていき、レースがこれ以上覆ることはないと思われました。

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 23時間57分が経過し、トップを走っていたトヨタがメインストレートで停止したとき、世界でいったい何人の人間が頭を抱えたでしょうか。確かにその時間まではトヨタに優勝の権利がありました。しかし残り3分で理不尽にもチャンスは奪われてしまったのです。その時点でマシントラブルの理由は不明でした。トヨタは確かに世界最速を走っていました。あと一周さえ走れていればあらゆる賞賛がトヨタを待っていたのです。しかし残された結果は完走ならず45位というものでした。
 レースは走っているドライバー1人のものではありません。1台のマシンには交代要員として3人のドライバーがつき、ピットには車を修理するクルーが待機し、本社にはこの1年をかけてマシンを作ってきたエンジニアがいます。チームをサポートする多くのユーザーとファンも世界中からその姿を応援しています。それら全てを背負い、突如としてパワーを失ったマシンのコックピットでのドライバーの無念は計り知れません。トヨタの脱落により優勝が転がり込んだポルシェをはじめとして、多数の関係者がトヨタに対して同情のコメントを表しました。

全ては真実である

 残念ながらこれは悪い夢ではありません。「ジンクス」も「魔物」も、そんな非科学的なものはこの世に存在しないというのが私の考えです。しかし今年は思わず信じてしまいそうになりました。
 「だけど、これがスポーツというもので、良い時も悪い時も必ずある。だからこそ我々がこの競技を愛するんだ」 - ポルシェチーム監督アンドレアス・ザイドル AUTOSPORTS web
 きっと今年の興奮を忘れられない者たちが来年もまたこの場所に集まることでしょう。「ルマンでは何かが起こる」と、私たちファンの注目も自然とそちらへと向くはずです。そしてこの記事を読んでいるあなたも、来年にはその熱狂と興奮を共有できたらとても嬉しいことです。
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2 Comments

関山 says...""
モータースポーツは全くわからないので、初心者でも分かりやすい良い記事でした。主観を抑えて巧く飽きないようにエピソードを繋ぐ、こんな構成できそうで出来ないものですよ。今年まではノーチェックでしたが、来年は意識してみたいと思います。

また、こんな文章。自分も鉄道史分野で書いてみたいものです。
鉄道車両はレースこそしませんが、スピードの勝負は常に続いておりますゆえに。
2016.06.24 23:54 | URL | #KWOxclv. [edit]
Tamotsu says..."Re: 関山さん"
ルマンの話を振られてこれだけ知っておけば恥ずかしくないと思うものでまとめました。
モータースポーツファンなら(細かい年はともかく)誰もが知っていることだと思います。
あ、でも最初の優勝車とかは知りませんでしたけど(笑)。

ブログを見てくれているキッズのために、ごく基本的な知識の共有は必要なことかなと思います。
この記事も全くマニアックではありませんが、車を語る上での基本は大切です。
鉄道のことも知らない人向けに書いたら結構面白い記事になるんじゃないでしょうか?
初心者が鉄道趣味に入っていくきっかけにもなりますし。
2016.06.28 22:31 | URL | #dNm2mw72 [edit]

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